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世界一遅いマラソン記録

2012年08月14日(火)

こんにちわ! かわさきです
あっという間にオリンピックも終わり 少し寂しいですが
日本チームの活躍ぶりはうれしい限りです

オリンピックといえば、素敵なお話を聞きましたので皆様にもご紹介したいと思います。

1912年のストックホルム(スウェーデン)オリンピックは
開催 5回目で まだ28カ国の参加という小規模です。
日本は陸上選手2人だけの参加ですが、 金栗四三は前年の
マラソン予選会で世界記録を27分も縮める大記録を出し
期待されました。 しかし 彼はレース途中32キロ地点で
日射病で意識を失って倒れ、近くの農家で介抱され、目を
覚ましたのは、すでに競技も終わった翌日の朝でした。

彼を弁護するならば、日本からスウェーデンへ20日もかけての船と列車の旅で、 さらに北欧の夜は明るいため、睡眠に支障があった。 
ストックホルムでは米が手に入らず、 さらにマラソンの当日は金栗を迎えにくるはずの車が来ず、彼は競技場まで
走らなければならなかった。
また 当日、40℃という記録的な猛暑で、参加者68人中、
およそ半分が棄権した。 うち一人は亡くなっている。

彼はその後 日本のマラソン界発展の為に尽力する。

時は流れて1967年、 スウェーデン オリンピック開催55周年の記念式典に招待を受けました。

実は彼は レース中 意識を失ったため、棄権の意思がオリンピック委員会に伝わっておらず「競技中に失踪し行方不明
」として扱われていた。
レースの終わりがゴールか 棄権しかないとするならば、
彼はレース中ということになります。
当時の記録を調べていたオリンピック委員会がこれに気付き、 彼を記念式典でゴールさせることにしたのです。

彼は快く招待を受け、競技場内に用意されたゴールテープを
切った。
記録は 54年8カ月5時間32分20秒3で、世界一遅いマラソン記録になりました。

彼はゴール後のスピーチで「長い道のりでした。 この間に孫が5人出来ました」 とコメントしている。

彼がゴールした瞬間 場内のアナウンサーが
「これをもってストックホルムオリンピックの全競技日程を
終了しました」 と宣言。

誰も気に留めないことをあえて取り上げたオリンピック委員会に拍手喝さいです。

ほんわかと 嬉しくなってしまいました(*^_^*)

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